龍馬・お龍のゆかりの地
Honeymooon Walk
坂本龍馬は、1866年(慶応2年)、寺田屋事件で受けた刀傷を癒すため、妻お龍とともに薩摩を訪れ、温泉で湯治をしながら、霧島を満喫し、人生最高の日々を過ごしました。この旅が「日本最初の新婚旅行」と言われています。
塩浸温泉龍馬公園の資料館「この世の外」では、龍馬の霧島での足取りや、姉乙女に宛てた手紙などの資料があります。また、龍馬は手紙の中に「志をひ多し(しおひたし)」と書いています。是非探してみて下さい。
坂本龍馬・お龍のゆかりの地をたどる歴史ロマンの旅。観光マップを見ながら坂本龍馬・お龍を癒した霧島の温泉と大自然を堪能しよう。
龍馬が妻としたのが楢崎龍。青蓮院宮家の待医・楢崎将作の長女です。勤王医として活動していた父は、安政の大獄で投獄され、獄舎で病死しました。父の死後は、姉弟を養うために扇岩と言う旅館に奉公したと言います。
龍馬と出会って間もない頃、妹たちが騙されて大阪の遊女に売られる事件があり、お龍はこの時、刃物を片手に一人で女部屋に乗り込んで妹を救出しています。この時のことを龍馬は「死ねる覚悟にて刃物をふところにして喧嘩をいたし・・・」と手紙に詳しく書いており、お龍の行動に感心し、相当な衝撃を受けたものと思われます。気が強く、奔放な女性というのが、お龍を知る人に共通のイメージでした。
茶道、華道、香道などの心得がありましたが、家事は苦手で、遊芸は大好き、政治のことにも口を出したがるような女性だったようで、当時の男性には敬遠されるタイプだったと言えますが、龍馬にとってはそこが魅力であり、恋に落ちるには十分な要素です。龍馬とお龍は、夜毎鴨川べりをデートしたと言われていますが、当時としては男女が寄り添って一緒に歩くなどは珍しいことであり、両人共に常識の範囲では考えられない思考の持ち主だったのではないでしょうか。
龍馬が12歳のとき、母・幸が亡くなった後、母親代わりとして、育てたのが4つ年上の姉・乙女さん。母親の死後、悲しみのあまり、家にこもりがちだった龍馬を、剣術や泳ぎなどで徹底的に教えた人物です。「坂本家の仁王様」と呼ばれるほどの烈女であり、身長五尺八寸(175センチメートル)、体重は百キロを超えていたといわれ、剣術や馬術、弓術、水練のほか、琴や三味線、浄瑠璃、和歌、詩吟など文芸もこなす文武両道の女性であったといいます。
龍馬は、おおらかでありながら、大変筆まめでユーモアに富んだ人柄であることが、姉の乙女などに出した手紙からわかります。特に姉の乙女には138通の手紙を送ったといわれていますが、下の手紙は、寺田屋事件で傷を負った龍馬が、その治療を兼ねて妻のお龍と鹿児島県の霧島山へ登り、温泉で保養したことを書いたものです。登山道を絵入りで示し、見たこと感じたことをそのまま書き表しています。龍馬が残した手紙の中でイラスト入りのものは4通だけで、大変貴重なものです。今日では、新婚旅行は当たり前ですが、当時はその習慣はなく、龍馬のこの旅行が日本の新婚旅行第1号ではないかと言われています。これはその一部です。手紙を現代文に短くまとめるとおよそ次のようになります。
- 乙女さんに差し上げます。前々から申し上げていた妻のお龍は、私が寺田屋で襲われた時に機転をきかせてくれた私の恩人です。3月に京都での治療が終わり、龍と二人で鹿児島へ旅行することにしました。霧島山へ行く途中、高さ50間(100メートル)ほどのめずらしい陰見の滝(犬飼滝)というものを見ました。ここで10日ほど泊まって谷川で魚を釣り、ピストルで鳥を撃ったりして、大変楽しく過ごしました。それから山頂の「天の逆鉾」を見ようと妻とはるばる登りましたが、これがひどい道で、女の足には難しいようでしたが、やれやれと腰をたたいて登ると、右の絵のような思いもかけぬおかしな顔つきの天狗の面があり、二人で大笑いしました。山頂は、眺めもよく、キリシマツツジが一面に咲いて、実に化粧をしたようでした。その山の大体の形は、絵図のようになっています。
- この逆鉾は、よく動くのでお龍と二人で鼻をおさえて、エイヤと引き抜いてみたら、わずか4~5尺(1メートル20センチ~1メートル50センチ)くらいでした。すぐ元通りに納めました。
- この穴は、火山の跡です。直径が3丁(約330メートル)くらい。すりばちみたいで下を見ると恐ろしかったです。ここには、霧島つつじがたくさん咲いていました。
- イ~ロ この間は坂道。焼け石ばかり。男でも登りにくく、とても危険。焼け石はさらさらで、少し泣きそうになります。5丁(約550メートル)も登ればわらじが切れます。
- ロ~ハ この間は、「馬の背越え」(噴火口の縁を登る)です。左右目が届かぬくらい下がかすんでいます。あまり危なかしいので、お龍の手を引いてやりました。
- ハ~ニ (山頂までの)この間は、たいへん楽なところで、すべっても落ちる心配はありません。
坂本龍馬・お龍のゆかりの地
霧島神宮
現在国指定の重要文化財に指定されている壮麗なつくりの社殿は、正徳5(1715)年に島津吉貴によって寄進されたもので、その本殿にはニニギノミコトを祀り、年間約150万人の参拝客が訪れます。霧島神宮より西の方約500mの所、華林寺跡と霧島川をはさんだ対岸には華林寺墓(坊主墓)がある。神仏分離令が発せられる以前の華林寺累代の住職の墓地で、文禄2年(1593年)から文政10年(1827年)までの年代不明のものや無名のもの等、古風な墓碑が残っている。墓碑の数から、かつての華林寺の壮大さがわかる。
ホームページ(http://www.kirishimajingu.or.jp/)
天の逆鉾
かつて、神々がこの世を治めていたという神話の時代がありました。神々が天上界の天の浮橋から下の世界をのぞくと、霧に煙る海の中に島のように見えるものがあります。神々は一本の鉾を取り出し、その島にしるしをつけました。それが霧島連山の名の由来といわれています。
その時、神々が逆さに落とした鉾は見事に山の山頂に突き刺さりました。今も高千穂峰の山頂に残る天の逆鉾は、その時の鉾といわれています。龍馬は新婚登山の際、これを抜き、お龍とともに大笑いしたとのことです。
和氣神社
坂本龍馬がこの地域を訪れた時には、まだ神社は祀られてはいませんでした。建立以前は、小さなほこらがあり、地域の人に大事にされていました。和氣神社の成立は、この地が和氣清麻呂公にゆかりのある地であるとして、昭和12年に和氣祀堂が建立されたことに始まります。そして終戦後にあたる昭和21年に鎮座祭が行われ現在に至ります。和氣清麻呂公は769年の宇佐八幡神託事件により、当時の権力者である道鏡によってこの地に配流されましたが、後に中央政界に復帰し、活躍した人物です。激動の幕末期、武家政権が700年続く中、日本の皇統を守った和氣清麻呂公を偲びつつ、新しい日本の将来を思い描いていたのではないでしょうか。
犬飼滝(高さ36m幅22m)
龍馬が姉乙女宛てに書いた手紙では「蔭見の滝は五十間(100m)も落ちて中ほどには少しもさわりなし。実にこの世の外かと思われ候ほどのめづらしきところなり」と絶賛しています。龍馬は、高さ36mの滝を五十間(100m)と伝えているように、物事をおおげさに表現する癖があったようです。「犬飼滝」を「蔭見の滝」と記しているのは、地元の人々との会話から龍馬が聞き取った「インケンノタキ」に当て字をしたもので、乙女姉さんが読めるようにとカナを振っております。「犬飼滝」の壮大さをより伝えたいという姉乙女さんへの配慮、地元の人々とのふれあいを大切にしていたことなど、時代背景をうかがえる非常に面白い一文であると思えます。
日当山温泉郷
天降川をはさんで両岸にある日当山温泉は、県内で最古の温泉といわれ、今でも、昔ながらの共同浴場が数多く、隼人・新川渓谷温泉郷の一部として国民保養温泉地にも指定されています。
西郷隆盛は小松帯刀邸で坂本龍馬の仲介で薩長同盟が結ばれ、その直後、龍馬が京都の寺田屋で幕府に襲撃されました。西郷の指示により薩摩藩邸が龍馬を保護。西郷、坂本龍馬夫妻、小松、吉井らと大阪へ出向いて鹿児島に向かいます。龍馬とお龍は、浜之市に上陸した3月16日(新暦4月30日)に一泊した後塩浸へ向かい、浜之市港を出港する前の4月8~11日(新暦5月22~25日)をここで過ごしました。
ホームページ(http://hinatayama.net/)
西郷どんの宿
温泉好きだった西郷がよく訪れていた日当山温泉。当時は民家 龍宝家に寄宿していました。元湯の近くにあった龍宝家が傷んできたので、この地に復元されました。緑豊かな日当山温泉で狩りや釣りをして、温泉で疲れを癒されたことと思われます。坂本龍馬もここ日当山温泉を訪れています。
塩浸(しおひたし)温泉龍馬公園
坂本龍馬が妻お龍を連れて日本最初の新婚旅行に訪れた地、霧島。その際、もっとも長く逗留した場所が塩浸温泉です。龍馬と霧島の関わりがわかる「龍馬資料館 この世の外」龍馬が湯治した温泉を利用した「龍馬とお龍の湯」「縁結びの足湯」また等身大の「龍馬とお龍新婚旅行湯治碑」が見られます。そして二人が幾度も上り下りした「龍の背坂」は、パワースポットで見逃せません。龍馬が駆け抜けた自然、踏みしめた大地、お龍と寄り添った空間がここにあります。
男湯は「龍馬の湯」、女湯は「お龍の湯」と名づけられております。また、週替わりで入れ替え制をとっており、違う雰囲気を楽しめます。「龍馬の湯」「お龍の湯」の、それぞれお風呂には、2つの源泉「塩浸の湯」、「鶴の湯」を楽しむ事が出来ます。
泉質はともに炭酸水素塩泉で、濁りとわずかな鉄臭がするのが特徴です。神経痛・切り傷・皮膚病・胃潰瘍などの効能があります。
ホームページ(http://siohitasi-ryouma.seesaa.net/)
ミヤマキリシマと霧島連山
龍馬とお龍は現在の5月の連休明けの5月13日に念願の高千穂峰登山に挑戦しました。途中、矢立でスケッチをしたり、馬の背越えでは危なくてお龍の手を引き、天の逆鉾に笑い、おびただしいキリシマツツジに感動した様子が、姉乙女に宛てた手紙で知ることができます。この時龍馬は小松帯刀からもらったカステラを弁当代わりに持って行きました。霧島連山は、昭和9年日本で最初の国立公園に指定された風光明媚な場所です。
霧島温泉郷
龍馬夫妻も楽しんだであろう様々な泉質の温泉地が9ヶ所もあり、歴史ある温泉郷です。付近には様々な名所、旅館、ホテル等があります。
浜之市港
龍馬は船で錦江湾を渡り、浜之市港に上陸。ここから塩浸温泉を目指しました。4月11日(新暦5月25日)、浜之市に帰り船待ちで一泊するも宿は不明。